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「消費者」という名の奴隷

1999/05/12

Permalink 02:34:09, by Nobuo Sakiyama Email , 8 words   Japanese (JP)
Categories: 昔書いたもの

「消費者」という名の奴隷

あるところで、「デジタル・ミレニアムの到来 ― ネット社会における消費者」(名和小太郎、丸善ライブラリー291,1999) という新刊書が話題になったので読んでみた。 一読して想起させられたのは、「専門家」が「消費者保護」をいうさいにしばしば感じられるいかがわしさである。

(2003年注記: この記事は古い記事の再録なので、ISOCのありかたをはじめすでにかわってしまった話が複数含まれている)

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名和氏のいう「消費者」は、白田 秀彰氏が 「消費者という断絶」 で述べるように、断絶している。 しかも、実体が断絶しているというよりは、主体をもたず、 企業サービスに囲い込まれた形での「消費者」を、名和氏の議論が必要としていると言ったほうが適切だろう。 例えば、名和氏は第3章「インターネット」に「表現の自由 vs セルフ・ガバナンス」という副題をつけている。 この章を通した議論での「セルフ・ガバナンス」という用語の独自性 ― サイバーエンジェルスが、 「業界団体」の自主規制が、「セルフ・ガバナンス」として肯定的に語られる (それらに否定的な見解は「インターネット原理主義」という嘲りを頂けるようだ)一方、 「セルフ・ガバナンス」のモデルとして商用化以前からの自主・自律を 管理に無関心なアナーキズムとして否定的に語っている ― もさることながら、名和氏のいう「消費者」は、「セルフ・ガバナンス」の主体ではないように描かれている。 しかし、実際には個々の消費者 ―いや、「利用者」と呼び替えておこう ― は、 「セルフ・ガバナンス」の主体たりうるのだ。 局所的なコミュニケーションの場を自主・自律していくということは個々の利用者によって日常的に行われているし、 グローバルな意志決定についても、 例えば Internet Society にかかわってもの申していく、 ということはインターネットの全利用者に対して開かれている。ISOC は全会員が議論に参加できる メーリングリストすら備えている。 「日本人だと言葉の壁が」と言いたがる人もいるかもしれないが、ISOCには 日本支部だってある。 この点、会員資格を学歴で区切ったり紹介者を要求したりして「専門家集団」であることを外形的に維持している 「学会」とは異なる。 「デジタル・ミレニアムの到来」全体を通しても、名和氏の主体とならない「消費者」モデルが名和氏の論のために 必要とされているものであることが強く感じられた。全部の問題を指摘していくとキリがない。

もっとも、この論点で名和氏を論難し続けることは適切でないかもしれない、という程度に 名和氏の論はそれでもバランスを考慮しているようにも思えるふしはある。 「想起」と述べたのはそういうことであって、もっと酷いものはいくらでもある。 電子ネットワーク協議会が1996年にだした 「パソコン通信サービスを利用する方へのルール&マナー集」 は、まさに企業サービスに囲い込まれた、自主・自律のない「消費者」のためのものであった。 それがインターネットを利用する方のためのルール&マナー集 と形をかえたとて、「消費者」に自主・自律を認めない、囲い込み主義ぶりはかわらない。 彼らには利用者自身の自主・自律は理解しえないし、認めたくもないだろう (電子ネットワーク協議会の問題は稿を改めることとしてここでは詳しいことは述べない)。 まして民間検閲業者のいう 「ネットコミュニティ」とは、単一ISPのなかに企業論理で囲い込まれて作られた「コミュニティ」に過ぎない。

謝辞

この文が書けたのは 白田 秀彰氏 の 「『インターネット原理主義』について」「消費者という断絶」 、 それから 山根 信二氏の 日記での書評、 それから「"ハッカーはクラッカーでない"と主張する会」MLでこの本を紹介してくださった方のおかげです。 感謝します。