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我々は奴隷か?否。

2004/03/04

Permalink 00:00:00, by Nobuo Sakiyama Email , 26 words   Japanese (JP)
Categories: 情報社会

我々は奴隷か?否。

期末となり忙しいこの頃、ここで扱ってる持ちネタのほうは全然進んでおりません...。

が、最近話題になっているblog記事で、あまりにも有害なものがあることに気づいたので。影響力なければ放置すればいいんだが、そこそこ有名な個人blogから参照されつつある状況で下手に影響力を持たれてもかなわないので批判しときます。

問題のサイトは徳保隆夫氏のサイト「趣味のWebデザイン」。きっかけは2月29日に「専門家は個人の責任で情報発信するな」と題する記事が掲載されたことだ。おぃおぃ。その後、他のサイトとリンクしあっての論争は続いている(サイトのトップページからたどれるのでいちいち示さない)。

...

最初に留意すべきは、彼が「Webデザイン業界」についての認識をベースとし、そこから具体例を挙げているものの、彼の「専門家は個人の責任で情報発信するな」なる表明はなんら限定されることなく全世界の全ての何らかの「専門家」に向けられている、ということだ。これはいくつかの意味で非常に重要だ。例えば、彼と「Webデザイン業界」固有の問題について認識を共有した上で問題をその業界に限定するような議論は有効でない。最初から彼の敵意は「個人の責任で情報発信する専門家」全てに向けられている。「Webデザイン業界」についての彼の認識が正当なものかどうかもどうでもいい。それは彼をこのような敵意に駆り立てた「動機」でしかない。対峙/退治すべきは彼の語る一般論のほうだ。

まず、彼は津村ゆかり氏の「組織の中の研究者・技術者がウェブで語るとき」を引用し問題意識について肯定した上で、彼女が書く注意事項について彼の経験から守られることがないものだと決めつけ、また彼女が「組織の中の」と書くときは、それはおもに自意識の問題なのだが、徳保氏の悲観論にあっては本人の自意識は信頼できないので文字通りの「組織の中」つまり、津村氏が「ほとんどのすべての研究者・技術者」と呼ぶ集合を対象として、「個人の責任で情報発信するな」と結論づけている。ここでひとつ問題なのは、そもそも津村氏の論が妥当かどうかだ。

津村氏が個別に書く「社外秘を漏らさない」「勤務時間に作業しない」「自分の意見が組織の見解と結びつけられないようにする」といった事項は、それぞれはある意味当然のことと言えるだろう(もっとも、勤務時間や組織リソースの利用については、あえて緩くポリシー設定をする組織も少数ではあろうがあることには間違いないだろうし、少数精鋭ベンチャー企業などであれば組織見解と個人見解の分離が不可能であったり無意味であったりする場合もあるだろうから、そのような場合にまでそれらを要求するのは「余計なお世話」であろう)。しかし、愕然とするのは、そういう項目についての見出しが「組織に迷惑がかかってはいけない」
であることだ。これでは無限責任だ。サラリーマンは奴隷か?「社畜」か?

もちろん、組織のなかでの出世を考えるとか、うまく世渡りするであるとか、そういう目標をたてて人生設計・生活設計をするのであれば、「組織に迷惑がかかる」ことはその基盤を危うくする行為だ。避けるのが利口。アクセス制御のない形でWebでものを書いていればそれが会社の目にふれることもあるだろうし、また、たとえ個人的なものであっても不利な立場に追い込まれることもあるだろう(実例も知っているが紹介しない)。

しかし、それは単に保身ということだし、また内容も「専門家」的な内容かどうかは全く関係ないのではないか。それが津村氏の論では倫理上まもるべき事柄として書かれている。もっとも、津村氏は「組織の中の研究者・技術者」について文字通りの意味で述べているのではなく、仕事のあり方と結びつけているし、一人のなかで「組織の中」と「個人として」の両方が同居する状態があるとしている。従って、津村氏は「組織の中の研究者」が語る内容の前提として、それが現在の研究開発内容や業務に直結ないし非常に近い場合に限定して述べている、と解釈することもできる。ところが、すでに述べたように徳保氏は「組織の中」を文字通りと解釈しているし、また「専門家」的な内容について、かなり幅広くとらえていると考えるしかない状況だ。はたしてこれは妥当なのか?

正しくは、被雇用者は雇用者との間で結んだ雇用契約での義務を果たす必要がある。その限りでの制約は当然のこととしてある(公務員は国家公務員法や地方公務員法の制約も受ける)
。しかし、そこまで。雇用契約で勤務時間外に無限に「迷惑がかかってはいけない」義務を課せるかといえば、それは無理だろう。そんな奴隷的拘束は公序良俗に反する。個人的には、たとえば社名込みで名前をかたられて巨大掲示板で会社の利益に直接に反するような書き込みをされたり、あるいは現在もそうだが組織名込みで私と勤務先への言われのない中傷を主題とする同人誌を大量にコミケで販売されたり、そういうのは会社に「迷惑がかかって」いるかもしれないが、それは私の責任ではないし、私が自分の実名を露出させない責任を負うことにはならない(私の場合は業務上問題ないと判断して職場のメールアドレスで加入している公開メーリングリストもあり、また検索エンジンを使えば学会発表等の著者一覧の一人といった形で所属組織が判明してしまう)。また、雇用契約に書かれた全ての義務が法的に有効になるわけでもない(具体例は自分で調べましょう)。「レベルが低いのがバレて会社に迷惑をかけたりしない」責任もないでしょう。もちろん、レベルが低いという評価は個人としても損(社会的にも、対組織の問題でも同様でしょう)なので、専門家づらして何か述べるときは慎重であるに越したことはないのは、どんな人生設計であろうと変わらないとは思いますが。

次に社会に対しての責任という文脈での問題。
自称専門家が誤ったことを述べて一般人が迷惑するから「個人の責任で情報発信するな」という主張についてだ。
ここはもう津村氏は関係なく、徳保氏の主張だ。
なるほど、「正しい情報」とチェックされた情報は必要だろう。
それなら、そうラベルされた情報を見れば良いだけなのではないか。
研究者にとっては、学会論文というのはそういうものだ。
もちろん全ての論文誌や研究会予稿が対等なわけはなく、各分野ごとに序列が存在する。
一般人むけであれば、内容をまともに編集側でチェックしている書籍やWebサイトがあればそれで済む話だ。
どれが信頼できてどれが信頼できないか、
例えば自分の気になる分野について徳保氏がレイティングを作成・公開してはいかがか。
下らない個人攻撃よりよっぽど生産的だろう。

ここで学会を持ち出したのには意味がある。
学会は専門家が所属組織を横断して組織している団体である。
徳保氏の議論では、なぜか「組織=勤務先」なのだが、
チェックがあればよいという議論であれば、「勤務先」に限る必要はない。
(現実にはあまりに問題が多いとは思うが)一応、学会というのは
その専門の内容に忠実な評価を下すことになっている。
一方、「勤務先のチェック」はどうだろうか?
内容が正しいかどうか」に限定されるだろうか?
もちろん、社外秘などについてのチェックはあるだろう。
しかし、それだけではない。
チェックをするとなれば「ふさわしい内容」かどうか判断されることになるだろう。
それは問題ないのか?
例えば業務上の研究開発成果を世に問うとき、
どこまで公開して問題ないか「知的財産」管理上のチェックをいれ、
またその発表が会社の利益に沿うものかどうかのチェックをいれ、
といったことを会社が行う、というのは当然のことだろう。
しかし、そのようなチェックを「専門家の情報発信」全てに適用することは妥当か?

IT産業のなかに身をおく(というと勤務先の業務内容全てからするとやや語弊があるが)と、
そこでの価値判断について、当然の正解や判断基準があるかというと、そうではない。
基礎研究でもなければ、社会的な価値をめぐる問題とすぐに結びつく。
Mitch Kapor をひきつつ Lessigが繰り返したようにCode is Law. Architecture is Politics.だ。
これをスローガンを越えて具体的に読みとる、
そのための能力と意欲はIT系の専門能力と深くかかわる。
こんなことは、大概は(少なくとも)営利企業の業務とは関係ないし、
読みとる元のコードが組織がこれから作ろうとしているものでもなければ、そこに秘密はない。
これは価値をめぐる闘いだ。そのとき、個人と、「会社」は、同じ側にいるだろうか?
その保証はない。そう考えると、「全てのチェックを会社にさせろ」という要求は受け入れられない。「倫理的」に全ての者にそのような要求をする人は、「個人」と「会社」の価値の同一化を当然の前提として受け入れているのだろう。

とはいえ、「内容の妥当性のチェック」という問題は残る。専門家づらするつもりがなくても、そう見なされることもあるわけで(例えば、私は断じてセキュリティ技術の専門家ではなく、あえて言えばセキュリティ技術のユーザという側面が強いのだが、私のサイトはセキュリティ関連サイトとしてカテゴリ分けされてリンク集に収められているケースが目立つ)。前のほうで学会の機能について述べたが、blogレベルの頻度と長さのものをチェックするために
学会という組織は出来ていないし、そもそも学会は新規の研究成果を提示してreviewする場であって、価値をめぐる闘いをサポートしてくれるとは限らない(日本限定で言えば非常に厳しい気がする。情報処理学会はサイバー犯罪条約に批准のための法整備には懸念を表明したが...)。

私の場合、事前チェックでないにしても期待しているのは仲間のチェックだ。CPSR日本支部の人々は結構私の書くものを読んでくれているし、問題によっては 支部会員メーリングリストで支部議長の山根さんに諮って声明を出してもらうという形をとれば、そこで確実にチェックが働く。まぁ、私の言っていることは、単に「勤務先」以外の組織に入ったり、あるいは組織を作ったりしてそこに頼ればいいということに等しいのかもしれない。それでも、「組織=勤務先」前提で閉じた世界を理想とするよりはよっぽと健全だろう。

組織を作るという場合、非常にしっかりとした組織も考えられるが、内容のチェックや
相互に手をいれて改良していくという話であれば、もっと柔軟でいい。
メーリングリストも、バザールモデルのオープンソース開発も、Orkut のようなSocial Networkingもので作るコミュニティも、みんな組織といえる。
たとえどんなにad-hocなものでも。
...そうやって考えていくと、妥当な腺に落ち着きそうな気はする。
そもそも、徳保氏の希望は、「専門家の質の高い情報」が流通することであって、
環境破壊の防止のために人類を滅亡させるような類の議論がしたいわけではあるまい。