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重い3秒ルール問題

2004/12/10

Permalink 03:15:33, by Nobuo Sakiyama Email , 6 words   Japanese (JP)
Categories: 情報社会

重い3秒ルール問題

少し前の話になるが、GLOCOMで東浩紀さんがやっている「情報社会の倫理と設計についての学際的研究」、通称 ised@glocom倫理研第1回研究部会の議事録が公開された。この会合にはオブザーバーという形で出席させて頂いた。オブザーバーは、多少の例外を除くとおおむね round table的な討議の聴衆であり、最後に質疑応答で質問する、という役割であった。

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中身自体は議事録を読んで頂くとして、この議事録についてあちこちのサイトで書かれた感想で、うならされたのは、切込隊長のものだった。私のコメントへの評価も含めて。切込隊長フィルターを通すと、自分がプロレスをやったのかな、という気分にさせられてしまった。私のコメントは、いかにも長い議論をメモをとらずに聞いてキーワードつながりで言いたいこと言ってるだけのようにしか読めないし実際そうだったのだが、一応、議論のなかで高木さんがWinnyについて述べていることや、東さんがプレ・ミーティングのときの高木さんの話した内容として紹介されたことと対応づけたつもりではあった。とはいえ、表現が拙くていまいちだったゆえに東さんにも単に誤解されたのだと思う。が、切込隊長フィルターを通すとプロレス(笑) 今後は気をつけよう。

また、その場にいるのとこうして読み返すのとでは、気になることがやはり違う。その場では、その場の議論の文脈を一応ふまえるが、読み返すときは自分の問題意識にひきつけて考えるからだろうか。

で、気になるのは、ポピュリズムについての議論である。中身に問題があるのでなく、具体的事例を想起してしまうからで。

端的にいえば、「住基ネット」に関するもろもろだ。私は、(現在のような形態での)「住基ネット」や住民票コードには問題があると考えて反対する立場にたっているが、それでも、例えば、稼働直前に反対運動のなかで使われた「牛は10ケタ、人は11ケタ」というコピーは、ポピュリズム以外のナニモノでもなかったと言える(深い意味でこのコピーを肯定するロジックを構築できることはできるが、それにはあまり意味がない)。あるいは、技術的な脆弱性が存在するかどうかが安全性に直結するかのような、すなわち、「絶対安全です」と述べる閣僚と、それを否定する反対派、といったセキュリティ問題をめぐる議論の構図もまた、、ポピュリズム的要素を多分に含んだものだったといえる。

これらのポピュリズムは単純に否定できるものではない。おそらく、そのようなものがない状況では、住基ネットをめぐる議論がメジャーなメディアに乗るということ自体がなく時が過ぎていったであろうことは間違いなく、そして、それは現在に至る問題への関心の広がりを確保しえなかったということも意味する。

しかし、一方で、推進派も、この「3秒ルール」的なイメージを攻撃さえすればよい、という、やはり「3秒ルール」的な対応を積極的にとっていることが少なくない。それは、反対派の主張が、より複雑な、中身のあるものに切り替わっても、かわらない。メディアの中での反対派イメージが当初の3秒ルール的なもので固まっている以上は、推進派は楽ができる。そのような状況が続いているような気がする。現実には「牛は10ケタ、人は11ケタ」コピーは、住基ネット稼働後の早い時期に実質的に放棄しているし、また、セキュリティについても、特定の脆弱性よりは、リスクの管理可能性の問題に焦点はうつっているといえるだろう。にもかかわらず、「牛〜人〜」コピーの嘲笑や、「コストを無視して絶対100%の安全を求める反対派」イメージは、依然、推進派が有効に活用しているように思われる。まぁ、そのイメージ通りに振舞ってしまう人達もいるわけだが。