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「ユビキタスネット社会憲章(案)」に対する意見(送付版)

2005/02/18

Permalink 05:07:35, by Nobuo Sakiyama Email , 3 words   Japanese (JP)
Categories: パブリックコメント, 情報社会

「ユビキタスネット社会憲章(案)」に対する意見(送付版)

「ユビキタスネット社会憲章(案)」に対する意見を、ドラフトを大幅改稿して送付した。


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1. 総論的意見

「ユビキタスネット社会憲章」は、「ユビキタスネット社会の実現に向けた政 策懇談会」最終報告書の85ページ冒頭にあるように、「国家が理想として定め た大切な原則」として取りまとめられるものである。国家においてそのありか たを規定する最高法規は憲法である以上、憲章として定める内容は憲法の枠内 のものでなければならないと考える。しかるに、「ユビキタスネット社会憲章 (案)」は、国民一般や企業やNPO等に多くの義務ないし努力義務を求める内 容となっており、なかには国家が市民に義務づけることが憲法上の基本的人権 の侵害と考えられるものすら含まれている。総務省の取りまとめが省や政府と しての見解提示に留まるのか、国会決議などをめざしているのかわからないが、 総務省の見解のみで国民一般に大きな義務が発生しうるようには到底理解でき ない。

もちろん、政策立案上、今後の理想的な社会イメージを描き、そこで国民一般 や企業やNPOがどのように振舞うことが望ましいと期待するか、といった内容 を検討することは必要なことであり、取り組みが不要だと主張するものではな い。しかし、「憲章」という強い言葉を用いるのであれば、権利や国家の責務 に属すること以外の部分は、例えば「全ての人々に期待されること」「個々の 専門家に期待されること」「企業に期待されること」「NPOに期待されること」 といった形にとどめ、義務や努力義務とならないように表現を弱める必要があ ると考える。

2. 「第一条 情報の受発信に関する権利」について

「権利」の内容が自由権的なもの(国家の制約を受けない自由なアクセス)と 社会権的なもの(アクセスの保証)と、混在していて、区別が明確でない。 「情報の受発信に関する権利」はもともと両者を併せ持った内容として構成さ れる必要がある、という面はあるにせよ、前者について国家がどのように制約 しうるか、という議論と、後者について国家がどこまで保障する必要があるか、 というのは別の議論が必要な問題である。従って、個々の権利の両側面につい て、項を分けて記述する必要がある。とくに、第3項(ネットワークを通じた 情報の発信)については、「公共の福祉」をめぐって権利の制約の要素があり、 社会権の文脈で制約が許容される範囲と自由権の文脈で制約が許容される範囲 は大きく異なると考えられる。

3. 「第五条 プライバシー」について

第3項(プライバシーの確保)について、「発信されることを回避し」うるよ うにすることは憲法の禁じる事前検閲を意図するものではないかと懸念する。 とくに公人を表現の対象とする場合は通信の秘密や表現の自由のほうが肖像権 やプライバシー権よりも重視されるべきであり、単に「調和を図りつつ」と記 述するよりも強い表現を用いるべきである。

第4項(適正な撮影の確保)について、「撮影機器」は、監視カメラを含みつ つ、個人所有の携帯電話付属のカメラなどもをもカバーする表現となっている。 しかし、個人の撮影によるプライバシー侵害と、監視カメラ等による大組織に よるプライバシー侵害とでは、その形態が異なり、また監視は撮影以外の方法 も考えられる。従って、人を監視する機器については、別の項を立て、監視の 事実の告知・表示のほか、監視の目的や収集される情報の扱いについての告知・ 表示などが適切に行われる必要があることについても言及するべきだと考える。

4.「第六条 情報セキュリティ」について

高度なICT社会における情報セキュリティの困難は、単に技術的な要素以上 に、セキュリティリスクを負うことになる者とセキュリティ投資を行いうる者 が、しばしば一致しないことにある。適切なリスクと投資の均衡が図られるよ う、セキュリティ投資を行いうる者のセキュリティ投資へのインセンティブを 確保するためにセキュリティリスクの負担について国家が制度を整備すべきで あるとする項を設ける必要がある。

5.「第七条 知的財産権」について

第2項後半「著作権等の侵害を誘発するような技術の利用について、慎重な取 扱を心がける必要がある」は、著作権侵害を専らの目的とするのではない、中 立的な技術の開発者に社会的な責任を負わせようとするものであり適切でない。 従って、削除するべきである。

6.「第八条 情報倫理」について

第1項については、「差別、犯罪、暴力、児童虐待等につながるICTの濫用」 とあるが、ここで「つながる」という言葉にはふたつの可能性があり、ひとつ はICTが直接に犯罪行為の中で道具として使われる場合であり、もうひとつ はICTが情報メディアとして用いられるなかで、メディアの人に与える影響 が犯罪に至るとする場合である。しかし、後者の場合については、いわゆるメ ディアの強力効果説は科学的立証が為されておらず、犯罪との因果関係を見出 すことは困難であるため、規制対象としては無視するべきである。前者の場合 について、技術の濫用という結果が問題であるにしても、それはもっぱら行為 者の責任であり、濫用のみを目的とした技術はともかく、 中立的な道具や技 術の開発者や運営者に濫用を予見し予防する義務を課すのは問題がある。また、 「予防的な措置」を義務づけることは、通信の秘密や表現の自由への事前介入 を含むため、適切ではありません。より限定した範囲の技術についての「予防 的な措置」とするか、あるいは「通信の秘密や表現の自由を侵さない範囲で」 といった限定をつけるかするべきである。また、後半、「公共の福祉の増進及 び社会的一体性の強化に資するための情報倫理の確立に努めなくてはならな い。」とあるが、社会的一体牲の確保・強化は主として経済的な階層分化と階 層間対立の問題であって、情報倫理の問題ではないのではないか。内面的価値 にもかかわるような倫理の文脈での「一体牲の強化」は、多様な価値観を許容 しつつ調和するような社会とは異なるものをめざしているような印象を与える ように思われる。ここまで述べたことに鑑み、第1項は、次のように大幅に簡 略化すればよいと考える。

「すべての人は、公共の福祉の増進に資するための情報倫理の確立に努めなく てはならない。」

第2項については、 「違法コンテンツ」はともかくとして「有害コンテンツ」 については、第1項で述べたようにメディアの強力効果説が立証されていない ことから、その有害性の根拠が多くの場合において存在しないこと、また、定 義が広範かつ曖昧であることから、「慎むこと」を要求することは表現の自由 への介入である。「有害コンテンツ」の定義について、「誹謗中傷等を伴う」 ものであると限定されていると解釈する場合にあっても、自由な社会における 健全な批判的言論と、それにあてはまらない「誹謗中傷」は、紙一重のように 区別が難しいものであって、実際には係争のなかで事後的に峻別されていくほ かないことを考えると、これらについて国家が積極的に「慎むべきである」と するのはやはり表現の自由に対する抑圧と解釈するほかない。また、「媒介」 「助長」の回避義務については、通信の秘密への介入や、中立的行為へ責任追 及となりうるものであり、不適切である。また、「迷惑メール」については、 日常的な文章のなかであれば問題はないが、憲章という文書の性質を考えた場 合には、曖昧で広汎すぎる。

これらを考慮すると、第2項は例えば次のように改めるべきである。

「違法コンテンツの発信や、利用者の同意を得ない広告、宣伝又は勧誘等を目 的とした電子メールの大量送信等のネットワークの不適正利用についてはこれ を慎むとともに、第三者の発信した違法コンテンツの意図的な媒介やネットワー クの不適正利用の意図的な助長については、これを避けるよう努めなければな らない。」

第3項、第4項については、「安全性」「信頼性」の評価について多様な価値 判断があることに留意できる表現とするべきである。

以上。