民主党から高井私案としてセルフレイティング強制法案が提案されているのだけども、どうしてこうなっちゃうのかなぁ、と思う。自主規制推進のプレッシャーをかけるためだけに存在して本気でやる気がないのならまだ許容範囲だけれども。「有害情報」を定義するのに「著しく」をつければ明確といえるのか、というのについての批判も当然私以外から出ているし、今後たくさん出てくると思うのだが、もっと根本的なところで違うよなぁ、と思う。
ised@glocomでの議論をふまえていうと、情報社会は、モデルとしては、メタユートピアとして、価値中立的なインフラと価値志向的なコミュニティの二層構造になる、と。セルフレイティングがもし推進されなければならないとすれば、このような二層構造を可能にする棲み分けのためのラベルとしてだと私は考えている。「子ども」を含めた情報環境は、純粋なリバタリアニズムで構成することはおよそ不可能だろうけれども、しかし、そもそも、子どもがどのように育つべきか、というパターナリスティックな判断さえも、それは全体で共有されるものではなくて、二層構造を前提したものであるべきだ思うのだ。そのとき、どのようなセルフラベルを、どのような判断で付すか、というのは、国家が規定するものか、というと、それは違うだろう。もちろん、モデルのように純粋な現実というのはないので、実際には、棲み分けのラベルとして使うことが許されないものも出てくるだろうし、あるいは、「みんながつけること」が望ましいラベルというのもあるだろうが、しかし、棲み分けのラベルは少なくとも建前においては価値中立であるべきだと思うし、どのようなコミュニティに属するかは、各自、あるいは各保護者の判断であるべきだろう。
そのような観点からすると、この高井私案はラベルの付け方と使い方において、個人の自己決定や保護者による代理の決定を阻害するものだと思う。私は、セルフレイティングは純粋に民間自主規制の形で行われるべきだと思うし、そこに国家が関わることがもし必要だとすれば、それは、よりメタな立場でセルフレイティングが自主的に行われる環境作りのためのものであるべきで、それを越えるべきではないと思う。
楠さんはWikipediaのエロ系解説をかなり気にしているが、それが素か学校利用を前提としたrole playかはともかく、そんなのはどうでもいいが見知らぬ他人とのコミュニケーションには危機感を持つ、というのも普通にありそうな要求であり、あるいは見知らぬ他人といっても子ども同士ならいいという場合もあるわけで、それぞれの要求が棲み分けるためのセルフレイティングであるべきだろう。
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