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楠私案についてそろそろひとこと言っておくか

2008/03/25

楠私案についてそろそろひとこと言っておくか

楠さんの「ネットで子どもの安全を守る包括的な政策パッケージ私案」について、コメント。

「保護法益と政策目標を明確化して政策評価の枠組みを構築する」、というのには、なるほど、とは思った。モラルパニックを防ぐには持続的な評価や調査は不可欠だろう。ただ、そもそもが因果関係すら微妙な部分も少なくないのだから、そういう部分の基礎的な調査研究の枠組が必要だろう。

「有害コンテンツを廃止して違法コンテンツの範囲拡大を図る」というのは、やや疑問。まず、「有害コンテンツ」という言葉の定義の不確かさから、これはインターネットホットラインセンターでいう「公序良俗に反する情報」だと判断して話をすすめるが、基本的にこの種のものを「コンテンツとして」違法化するのは、表現の自由の観点から問題だと考える。インターネットホットラインセンターの分類は、「児童ポルノ判定を下し切れなかったもの」(これを違法化するという議論は児童ポルノの定義の議論に帰着すべき)を除くと、表現それ自体が問題だというよりは「違法行為を直接的かつ明示的に請負・仲介・誘引等」しているという、表現よりは行動としての面が問題になるので、「コンテンツ」だけで判断できるようなものではなく、極めて文脈依存なのであったりする(現状の「違法情報」でも、このようなものはあるが)。そんなものを一般に違法化しようとするのは無理があるだろう。インターネットホットラインセンターの統計では「公序良俗に反する情報」については大分類しか示されておらず細かい分類との対応が分からないのだが、そもそも一覧に「爆弾の製造法」とかあるのは、センセーショナルな「インタネットは有害だ報道」への対応という気がしなくもなく、実際に意味があるかというと微妙すぎるだろう。いずれにせよ、「明白かつ現在の危険」がありそうな情報については警察が個別の違法行為についての容疑(予備罪なども含む)で動かざるをえないだろうし、そうでもないものはどうでもいいだろう。幇助云々は、構成としては事業者に負わせる義務が重すぎるのではないか。現状、プロバイダ等への違法通報に対する対応義務が存在していない点を改善すれば足りる。

「サイバー犯罪の窓口機関を機能強化して民間事業者の参入を推進する」というが、とりあえずインターネットホットラインセンターは違法情報を含めた民間通報の受付窓口をやっているのだから、前提が少し間違っている。現状のインターネットホットラインセンターも、法律に基づいて設置されたわけではないから第三者参入を妨げるものではないが、どちらかというと窓口の乱立による混乱を防ぐ意識のほうが現状は先にあるのではないかとは思う。ただ、ポータルサイトやISPが総合ワンストップサービスを提供する意義はそれとは独立にあるとは思うが。とりあえず、インターネットホットラインの通報窓口の使いにくさはなんともいえないものがあるので、そういう部分は改善されるだろうし。ただ、違法判定部分について、違法情報の蓄積をしていかないと効率が上がらないだろうから、警察からの情報提供を可能にするという方向と、一定のセキュリティレベルを確保し反社会的な人間が運営に関与しないように縛りをかけるという方向と、両方の意味で法的に担保していくアプローチはあるだろう。出会い系サイト規制法の改正案に、「出会い系サイト」という限定領域での試みがある(天下り先増殖法に見える問題はあるが)。

「違法コンテンツへのアクセスに届出制を導入する」というのは、普通に考えて通信の秘密の侵害でアウト。たとえ情報発信が違法とされる内容でも、その全般へのアクセスや受信を原則違法化するのはダメだろう。「届出の行われた正当な業務目的」という縛りでは、その検閲への自由な検証は確保されえない。児童ポルノの単純所持違法化の議論も現在あるわけだが、仮に児童ポルノへの原則アクセス禁止を正当化できたとしても、それを「違法コンテンツ」全般に拡張するのは、無理があるだろう。

「ネット安全利用技術の評価手法を確立し有効な技術を推奨する」とのことだが、そもそもフィルタリング技術やゾーニング技術の「実現すべき機能や品質検証」の、どの程度までが価値中立なもので、どこから先が価値観に踏み込んだ領域なのか、という問題がある。前者の有効性は否定しないが、楠さんの以前の書き方をみていると、価値観部分に踏み込んでいるように思う。

「本人確認サービスを制度化し年齢属性証明の普及を図る」という部分は、事業者のビジネスを促す部分まではいいが、利用しないことに管理責任を問うというのは、やり過ぎだろう。年齢属性証明のない従来からの一般のコミュニティサイト(普通のブログも含むよ)を、そのままならつぶせといっているようなものだもの。管理責任を問うというのは、現実的な水準での対処ではなくて、大きな萎縮効果をもたらしうるだろうから。仮にSNSのようなユーザーコミュニケーションに重点のあるものをうまく定義づけるとしても、それはどうだろうというか。児童を中心とする若いユーザーが集まるコミュニティサイトに安心できる機能として加えていくという話であれば、それこそゾーニングとして、基準を満たしたサイトですよというラベルがついていればいいという話ではないのか。

全体として、「高めのボール」といっても高すぎるのではないか。そして、高くしようとして高くしたものの、それが効果的に高いというよりは、無駄に高いボールになっているような。