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薬のネット販売規制問題については過去から学べるものがある

2009/01/01

Permalink 14:39:48, by Nobuo Sakiyama Email , 2 words   Japanese (JP)
Categories: コンピュータとインターネット, 政治

薬のネット販売規制問題については過去から学べるものがある

薬のネット販売規制の問題、MIAUでも「現在厚生労働省から提案されているような内容での、一般用医薬品のネット販売の規制には、反対」という声明を出しているのだけれども、個人的には、MIAU内部での検討過程の初期では軽くブレーキをかけつつ、この声明には反対しないというスタンスをとった。現状の販売方法に細部に渡ってまで問題がないとはいえないだろうが、それってドラッグストアも似たようなものだし、ネットだけをターゲットにして売るなというのはおかしいからね。医薬品のドラッグストアでの販売方法には薬の種類によっては規制強化することになっているけれども、そこはザルにならざるをえないだろうなかで、いかにもバランス悪いよねと。

こういうことって過去にも無かったのだろうか、というと、ある。薬事法薬局距離制限規定違憲事件というのがあって、日本国憲法の法令違憲判決の数少ないひとつ。営業の自由を侵害したとして昭和38年の薬事法改正(昭和38年法律第135号)での薬局距離制限規定が違憲とされた事例。ちなみに原告がスーパーマーケット内に薬局を設置しようとしたのは、まさに立法がターゲットとしたものであったりする(後述)。

問題の改正法の立法過程はというと、議員立法で出されていて、参議院先議。衆議院ではあまり細かく審議されていない。参議院でも、昭和38年3月26日に趣旨説明があり、同28日には審議から委員会採決に至っている。実質的な審議は後者に集中している。ここで槍玉にあがっているのは、都市部における医薬品の「乱売」、しかもスーパーマーケットでのそれであって、国民の健康と安全が錦の御旗となり、それまでの管理薬剤師(現行第七条)に加えて従事する薬剤師数の規制(現行第五条二号)が入り、さらに薬局距離制限規定も入った。そして、後者が違憲となったということになる。社会的な背景としては、当時はサリドマイド薬害の深刻な被害が明らかになっていたころで、薬事法改正の審議の枠の外ではあるのだけれども、3月26日の議事録でも「社会保障制度に関する調査(サリドマイド禍及び中性洗剤の毒性に関する件)」という案件のもとこの改正案が肯定的に参照されていたりする。同じ委員会では同時期に麻薬取締法改正などもあがっていて、「薬物乱用」について警戒する空気が盛り上がっていたこともわかる。未来からの目で28日の議事録を読むと実に興味深い。

当時も今も、薬害問題が営業規制を盛り上げる口実に使われていることに変わりはない(しかも、かつてのサリドマイド禍と現在の「ネット薬局」が関係したと言われる問題とは、規模も具体的内容も比べようもなく昔の問題のほうが大きかったと言える)し、「もともと医療・製薬業界って薬や治療法の許認可だけでなく保健医療の医療費・薬価を国が決めているから政策の裁量が非常に大きく」と楠さんが述べているのがロビイングの効果という側面だけならいいが政策でどこまでやっていいかという点については以下のようなトーンで導入された規制の大部分が違憲でひっくり返ったということをよく考えてみるべきなんだと思う。そして、ひっくり返すのにかつては10年以上かかったわけだけど、今のスピード感でそんな悠長でいいのだろうか。

それから、スーパー・マケットの問題でございますが、なるほどスーパー・マーケットは実際重宝だと思います。重宝だと思いますが、私はアメリカのスーパー・マーケットを見て参りましたが、日本はほとんどまねしながら、全く性格が違っている。アメリカのスーパー・マーケットは商店街にはほとんどございません。パン屋もなければ牛乳屋もない、肉屋もないというようなことが住宅街か団地でございます。そうして日常雑貨を売っている。ところが、日本のスーパ・マーケットはそういうような住宅街とか、あるいは団地とかいう所にもありましょうけれども、多くは小売商店が蟄居しているそのどまん中にスーパー・マーケットというものを作って、そうして小売商店の営業を圧迫しているのが日本のスーパー・マーケットのほんとうの実情だと思う。これは小売営業者の育成保護という立場からも考慮しなければならないのですけれども、金網のかごを持って自分の好きなものを買う、スリッパを買う、あるいはこっちへ行って化粧品を買う、医薬品を買う、こういうようなことは、医薬品以外のものについては差しつかえございませんが、先ほど申し上げました、しろうとの価値判断でできる問題でございますから、差しつかえないが、医薬品につきましては、後段の阿具根先生の御質問にも該当するわけでございますが、医薬品を、一々薬のことを知らないお客がそこの薬だなから金網のかごに入れて、そうして勘定場にそれを持って行きまして幾らだと、ほかの肉や缶詰と一緒に金を払うやり方は、これは現在の制度では違法になります。やはりいわゆる待命制度といいますか、その場におっていろいろなことを聞いて、あるいは教えて販売する建前をとらない限りは、非常に危険です。ところが、これは私どもは、かつて阿具根先生も一緒だったと思いますが、各地のスーパー・マーケットを見て回ったことがありますが、ある県庁に行きましたら、待命販売をやらせるということで許可したという話でした。それで、その薬務課長を案内役に立てて見に行って、私はバッチを隠して、この薬はどうするかと言ったら、女の子がおって、そこにかごがありますから、欲しい薬は何でもかごに入れて勘定場に持って行って払うのですと、こう言っておった。薬務課長は非常に赤面いたしましたが、こういうようなことは非常に多い。そこへ薬剤師を置かなければいけないというのです。大阪等を見て回っても、やはりそうです。しかも、薬剤師の女の子をスーパー・マーケットの勘定場に置いて勘定をやらせている。そうして詭弁を弄して薬剤師の方にこういう勘定場の仕事をやらせている。そうして製品を見て勘定するのですから、待命販売と同じことになるんじゃないかと詭弁を弄している、こういうやり方が実態であります。スーパー・マーケットのこういうやり方は危険性を持っている。

 そこで、第三番目のお話に、もう製品になっている、ここにも書いてある、テレビ、ラジオでも報道する、新聞にも広告してある、そういうことでやればいいじゃないかということでありますけれども、だれにも書いてあるとおり使えるものもあれば、非常に危険を伴うものもあるのが化学的製品の——昨日も中性洗剤のときに私申し上げたとおり、化学的製品の非常に危険なところであります。したがって、いつ危険が起こるかわからないということを常に念頭に置いてやはり扱わなければならない。でありますから、薬局、一般販売業には薬剤師を置かなければならない。薬種商は、薬種商のそういう試験を受けて薬種商の仕事をやはりやっているわけでございます。そこで、例をあげますれば、総合ビタミン剤を盛んに売っている。どこのビタミンも同じじゃないか、買おうか、こうは言っても、甲の会社で出している総合ビタミン剤と乙の会社で出している乙なる総合ビタミン剤とはやはり違う、同じ総合ビタミン剤でも。これはビタミンBに重点がある、これはビタミンAに重点がある、あるいはビタミンKに重点がある、みんな違っている。そういった点は、やはり専門家の業者に意見を聞いて、私はこうこうこういう考えで総合ビタミン剤がほしいのですが、どれがいいかということを聞けば、良識ある業者は、良識に基づいて、いろいろありますが、あなたにはこの総合ビタミン剤のほうが向くでしょう、こういうことを言う。そこまで大事をとらなくてもいいものもありましょうが、本質的にはそこまで大事をとって、価値判断のできないお客に対して価値判断を与えてやる、これが私は医薬品取り扱いの本質だろうと思う。でありますから、これは薬剤師でなくても勝手にやっていいというわけには参りませんので、やはり化学的製品は、いついかなるときに危険を伴うかもしれない。しかも、良識ある経営安定ができた薬局等でビタミン剤を売ります場合には、これは番号で、どこの会社で何年何月ごろ製造されたということがすぐわかる。ビタミン剤は、御承知のとおり、非常に破壊される、分解される。ですから、決して害毒じゃないけれども、効力が非常に減退される。ある年月たちますと、そうすると良識ある薬局等でありますれば、これは古い総合ビタミン剤で効力半減している、だめじゃないが、まだ五〇%の効力があるけれども、それよりも先月仕入れた総合ビタミン剤、これは効力が九十何。パーセントぐらいあるはずだと判断して、古い品物はどんどん送り返してやる。そういう分解作用を起こさずに、効力をそのまま持っている新しい製品であるということを判定いたしまして売る、こういうことをしなければならないと思う。そういうことが、スーパー・マーケットの販売の仕方、つまり勝手に自分の好きなものをかごに入れて勘定だけ済ませばいいという場合には、とうていそれは期待できない。ことに専門家でない者が勝手に取り扱うという場合には、なおさら危険を伴う、こういうように考えますので、これが第二段目のスーパー・マーケットに対する考え方と、それから、しろうとでもそのまま見ればわかるじゃないかとおっしゃる御質問に対する一応の私の答弁でございます。

高野一夫答弁: 参議院社会労働委員会 昭和38年3月28日