« 医薬品流通制限と憲法の問題は厚生労働省も認識しているはずドイツの児童ポルノ禁止強化の中身が実際のところよく分からないなぁ »

鳩山総務大臣の答弁内容には反対だがそんなに「的外れ」ではない

2009/02/27

Permalink 02:45:55, by Nobuo Sakiyama Email , 8 words   Japanese (JP)
Categories: 検閲, 児童ポルノ問題

鳩山総務大臣の答弁内容には反対だがそんなに「的外れ」ではない

楠さんが的外れと評していた鳩山総務大臣の答弁を含む2月18日予算委員会議事録が出ている。これ、読むとそんなに的外れじゃないと思うんだ。

丸谷議員の質問は、骨格部分は「インターネット上に児童ポルノをアップロードさせないこと」について「まずは産学連携主導で、その上で政府が協力する、若干消極的な印象も受けておりますが、総務省としてはどのように取り組んでいかれるのか」というものだ。これに対して「できる限り前向きに、先手を打ってこの問題を解決できるように、どこまでできるか、これからも研究したいと思っております。ですが、その前提として言えることは、それは断固として単純所持を禁止するべきなんです。」というのが、答弁の骨格。「単純所持禁止」という前提があって、はじめて「ブロッキング」などを官主導に、より「前向き」に検討できるというのがここの内容だ。単純所持禁止なり、民主党案の「取得禁止」なりをさらなる対策の前提とすること自体は論理的には至極当たり前のことで、単純所持禁止を盛り込む改正案制定の有無にかかわらずブロッキングなどの規制をすすめていこうとする動きがあるほうがむしろ危うい。

鳩山大臣答弁では続いて「表現の自由で守られる法益と児童ポルノによって失われる人権というものとの比較」とで「表現の自由という部分が大幅に削られて構わない」としていて、ここでアニメという言葉を出して揉めているのだけれども、そもそもが与党の改正案でもアニメなどは入っていないし、「すぐ『表現の自由』、『アニメの場合は』という表現がすぐ出てきますが」(議事録にない二重かぎ括弧をあえて補ってみた)という文脈で、アニメを直接どうしようとは言っていないので、それはとりあえずスルーして「比較」されている表現の自由は何か、ということを考えてみる。表現の自由というと一義的には発信者側の自由としてとらえられるので、それで「的外れ」という評価が出てくると思うのだけれども、はたして総務大臣がそこに限定して意識しているのか、というと違う可能性は十分にある。

国際人権規約という日本も批准している基本的な人権条約があって、これのB規約というのが自由権をまとめたものになる。そこの第19条が表現の自由だ。

第十九条

1 すべての者は、干渉されることなく意見を持つ権利を有する。

2 すべての者は、表現の自由についての権利を有する。この権利には、口頭、手書き若しくは印刷、芸術の形態又は自ら選択する他の方法により、国境とのかかわりなく、あらゆる種類の情報及び考えを求め、受け及び伝える自由を含む。

3 2の権利の行使には、特別の義務及び責任を伴う。したがって、この権利の行使については、一定の制限を課すことができる。ただし、その制限は、法律によって定められ、かつ、次の目的のために必要とされるものに限る。

(a) 他の者の権利又は信用の尊重
(b) 国の安全、公の秩序又は公衆の健康若しくは道徳の保護
国際人権B規約 第3部

この第19条2項の意味において、「表現の自由」には「自ら選択する」「方法により」「国境とのかかわりなく」「あらゆる種類の情報及び考えを求め、受け」る自由が含まれている。「あらゆる種類の情報」には、児童ポルノも、もちろん含まれることになる。続く3項にあるように、この自由は「一定の制限を課すことができる」から、第19条2項をもって「児童ポルノの単純所持を禁止することはすなわち国際人権B規約違反だ」という主張は当然のことながら成り立たないのだが、しかし、その制限は「法律によって定められ」る必要があるし、「次の目的のために必要とされる」程度のものである必要はある。鳩山大臣が政治的主張として表現の自由と「児童ポルノによって失われる人権」を理由として「単純所持に刑法罰」と主張するのは、その意味では筋が通っているし、ブロッキングなどに先行して法規制の必要性を述べるのも、人権規約との整合性はとれている。おそらく、丸谷議員の質問は事前通告されていて、それなりに筋が通るように事前チェックした内容を答弁したのではないかと思う。

ここで終わらせてはしょうもないので、私の問題意識を。そもそも論のレベルで単純所持禁止や民主党案の取得禁止それぞれについて反対だし、児童ポルノブロッキングも反対だが、それで終わらせてしまうことなく、ブロッキングまわりでもっと微妙な議論をしたい。そもそも、ブロッキングといって国際通信に介入して情報取得を制限する、という方法は、相当な劇薬であるわけなんだけれども、導入を求めるサイドにしても、これを「児童ポルノの深刻な問題を前にして導入もやむを得ない」と考えるのか、「主権国家たるもの国民の違法情報取得を制限できることが当たり前であってそれができていない現状がおかしい」と考えるのかで、相当な開きはあるだろう。総務省の「インターネット上の違法・有害情報への対応に関する検討会」の最終とりまとめ案へのパブコメでブロッキングの全ISPへの法律による強制を力強く主張していた「後藤コンプライアンス法律事務所」って、元警察官僚で現在は弁護士の後藤啓二氏の事務所だけれども、彼のトーンはどっちかというと後者なんじゃなかろうか。後藤氏は警察庁総合セキュリティ対策会議の今年度委員でもあって、児童ポルノブロッキングの議論自体は総務省よりも警察庁のほうがスタートが先だったと思われることもあるので、気になるところではある。

なぜこんな話をしているかというと、児童ポルノを禁止している国々においても、児童ポルノの定義はさまざまだということがある。ある国では児童ポルノと評価されるものが、別の国ではメインストリームの文化の一要素であったり、芸術として捉えられていたり、というのはごく普通のことだ。例えば実在の幼児を強姦している様子を露骨に撮った画像・映像が児童ポルノであることは、児童ポルノを法律で定義している国の間では間違いなく共有されるとしても、どの程度のものまでが児童ポルノで、どこから先がそうでないのか、あるいは児童か否かを分ける年齢、といったものは、国ごとで異なる。年齢は18歳未満ということに収斂していくだろうとしても、内容については、結局のところ、各国の文化に依存せざるをえない。先住民が伝統的なライフスタイルを貫いているとみな裸に近い状態であったりするところで思春期の少女の胸の露出を「児童ポルノ」と評価することはおよそナンセンスであろうし、逆に日本や西洋ではおよそポルノとみなされないような水着姿の女性をポルノとみなす国・地域もあるだろう。そこまでの極論をしないまでも、G8諸国の間でも、児童ポルノの定義というのは一致していない。人間というのは文化的生物なんで、どこまでがまっとうな表現活動で、どこから先が人権蹂躙になるかっていうのは、それぞれの被写体児童の文化的文脈に依存してしまう。

児童の人権が問題であるなら、ある児童ポルノをきちんと禁止している国で合法の範囲としているものを、別の児童ポルノ禁止国で「単純所持禁止」とか「閲覧防止措置」とか、そういうことをやる必要があるのだろうか、と思うのだ。ブロッキングで先行しているイギリスで、アメリカにサーバのあるWikipediaをブロッキングして騒動になったのは、大きくみればそういうことだ。そのアメリカからみて、ドイツの発行部数数十万のティーン向け雑誌のサイトが、児童ポルノ処罰の観点から安全でないサイトになっていたりする。それぞれの国内で児童の人権が蹂躙されていると認識されているわけでもないのに、これは馬鹿げた事態だと思うんだ。

もし、「やむを得ない」ブロッキングであれば、定義を問わず児童ポルノの頒布などを禁止する法律があるかどうかと法執行の実態の両面で各国の状況を調べて、そこがきちんとしていない国についてのみブロッキング対象とするというのだってありえるのではないか。論理的には、児童ポルノ限定でなくポルノ全般を禁止している国で法執行がきちんとしている国もブロッキングの必要はないだろう。国内の児童ポルノを取り締まる国が増えていけば、ブロッキング対象国は減少し、理念的には将来のどこかでブロッキングは廃止される。これが問題であるとすると、それは「ブロッキングありき」の情報流通制限インフラを導入するネタとして児童ポルノを扱っているという話になるのではないか。児童ポルノの定義が国によって異なる問題は根本的に解決不可能だから、自国の定義を基準にブロッキングするという話は、永続的なブロッキングを意味するし、永続的であることを前提に導入されたインフラは他の用途にも転用されやすいだろう。

まぁ、こういう議論は、日本においてポルノアニメに限らない「萌え」全般、アメリカやヨーロッパにおいてファッションブランドの広告表現などで、「18歳未満」を題材として少しでも性を連想させる表現をしているものすべてを糾弾の対象としている反児童ポルノ運動の団体からするとおおよそ受け入れられないだろうけどね。